前回の続きから・・
経営者と言っても街の小さな写真館でした
立ち上げ当初から会社形態にしていましたので、、もう今は作れない有限会社です
創業は平成16年
当時は夫がいました、彼の経営でしたが一度会社を飛ばしているので、、(笑)
表には出られないということでわたしが代表取締役になりました
後にそれがよかった思えるのですが
なのでたちあげは私の力ではありません、お金もなかったですし
でも独立したいという野心は若いころからずっと持っていました
「自分の思うようにやってみたい」という独立したいだれもが描く夢をわたしも抱いていました
これは書き出すと本当に長い話で、、考えただけでもぞっとする長い話ですわ
少しだけかじると
私は北海道出身です
二回目の結婚で千葉の人と一緒になり千葉に移住しました
その結婚相手とは7年で離婚しました
千葉に縁もゆかりもなかったのですがその時すでに営業の仕事をしていて人脈も経験もあり
時代もバブルの影響もありいい時代で、経済的にも子供一人いてもやっていけるという自信がありました
その時32歳くらいだったと思います
原因は人生の目的があまりにも違い過ぎたから
「普通が一番いいんだ」という夢も希望もない人とこの先何十年もいるのは無理!と思ったのです
私はそのころすでに独立して自分でやってみたいと思っていました
やりたいことがたくさんあって24時間仕事に使ってもいいくらい燃えていました
温度差がありすぎて暮らせませんでした
その後彼は、母親が見つけてきた普通~の人と結婚しました
ちなみに奥さんは仕事するようなタイプではなく私とは180度違うような人でした
そのころはまだ専業主婦が多くて結婚し子供がいたら働くことのない人の方が多かったのです
「男に食わしてもらうのが一番」という女性が多かった
わたしはそのことに激しく嫌悪感を覚えていました
「自分で稼げばいい、人に食わしてもらうなんて願いさげだわ!」と思いました
7年間の結婚生活の中でも自分の自由になるお金がいないことが我慢できませんでした
いいようのない不安感と罪悪感のようなものが常に渦巻いていました
なので子供が1歳半の時から仕事を始めました
自分で稼ぎたい!その思い一つで働きましたがその仕事が自分に合っていたのです
それがのちの仕事までずっとつながっていたのです
二回目の結婚といいましたが最初の結婚は結婚詐欺でした
相手は結婚してたので入籍できず
まぁそれは不幸中の幸いともいえるのですが
まだ20歳で何もわからない頃でした
わずか2週間で見切りをつけ実家に逃げ帰りました
相手は何も言えませんよね
そんななかなか経験できないことも経験しました
二人目の夫は先に亡くなりしばらく未亡人でした
会社も夫が仕事できなくなってそれから本格的に経営交代したのです
最初は名前だけの社長でもどかしい思いで、、辛い日々でした
夫のやり方ではとっくにつぶれていたと思います
いいころに交代し巻替えしをはかりました
あの頃借金が一千万円以上ありましたが一番必死でした
自分でやるようになり借金を返し終わったころからやっとよくなってきたんだと思います
借金苦のころはあまり覚えていないくらいです
夫の病気のための介護もあったりして
わたしの40代は非情でした
この続きはまた次回にします!